レース結果&出場予定


[結果]
2009/6/28   サロマ湖100km  11:34:51
前夜はよく眠れて体調は良かった。
最初は`5分を切る程度でやや余裕の走りで、こんな感じで前半いって後半はベースアップと考えていたが、20km前から右アキレス腱が痛み始め具合も悪くなってきた。トイレで小便をすると異常に濃い色をしていて不安になった。ペースはガクンと落ちて、後半エネルギー切れにならないようにエイドでしっかりと給食をとった。
54kmの緑館エイドでは今年もほたてのおにぎりがおいしかった。今年は急いでなかったので過去最高の8個をいただいた。
74kmのおしるこエイドを目標になんとかゆっくり走った。
今年、初めて50kmの部のランナーの背中を見た。
おしるこを食べた後は走ったり、歩いたりでワッカ原生花園を進んだ。昨年まではワッカはほとんど一人で走っていたので、周りに人がいると不快。
90km以降は脚が限界に達してほとんどが歩き。右脚の背面全体が痛くてつらかった。
30kmあたりでは、完走できないのでは思ったがなんとか完走できてよかった。

<10kmごとのラップ、分>
 49(10km)−48(20km)−56(30km)−60(40km)−
 60(50km)−67(60km)−61(70km)−72(80km)−
 96(90km)−127(100km)

2009/5/17   柏崎潮風フル  3:04:27 6位
初出場のレースなので前日に車で10kmまで下見した。残りは未知の世界。
スタート時から小雨が降り続いた。
500人くらいの規模なので混雑なくスタート。太鼓の応援に見送られた。
最初の4kmは海岸線を走った。ペースは`4'20くらい。
5km手前で地下道階段を通って上り区間へと入った。それほど急な坂ではない。
下りに入ると周りはペースアップしたが、こちらはまだのんびりいった。
山道が終わると美しい田園風景のなかを走った。
応援する人の人数は少ないがそれぞれが特徴的で印象に残った。
中間点で折り返したときの順位は年代別で10位だった。
二人抜けば入賞なのでややペースアップ。しかし23kmくらいで一人も抜けないまま、脚に疲労を感じ、気持ちも悪くなってきた。
「最近、長い距離を走ってないので42kmは無理か」と、あきらめムード。それでも、なんとか前のランナーから離されないようにくらいついた。
すると28kmくらいから落ちてくるランナーがでてきた。30kmまでに4人抜いて6位に。
こうなったら行くしかない。ゴールでは息子が待っている。
「久しぶりに入賞するところを見せたい。」そう思うと脚が軽くなった。
32kmからの急な上り1.5kmも無難に走れ、その後の下りはなんのためらいもなく飛ばした。
しばらく忘れていた快感。「まだこんなに走れるんだ」
海岸線に出ると残りは4km。トンネルのなかではサックスの生演奏応援が響きわたった。
ラスト3kmはバテバテ。向い風にも苦しめられた。
ゴール会場の手前で息子と合流。「6位入賞だよ」の声に息子が笑顔で応えた。
ラスト200mを二人で走って、いっしょにゴールした。
表彰式は息子のほうがはしゃいでいた。

<5kmごとのラップ>
21'55−22'11−22'02−22'04−
21'20−21'01−22'30−21'20−10'00

2009/3/29   佐倉フル  3:18:33 236位
今まではフルの前夜は興奮して寝付けなかったが、昨夜は熟睡できるほど緊張感なし。目覚ましの音で目覚めたときもなんだかレースに行くのが面倒くさかった。会場についても車のなかで眠ってしまった。
最初の1kmは4'15だったが、とてもこのペースで走れるとは思えずペースダウン。2、3km走って調子悪くて止めたくなってきて「今日はハーフでやめようかな」と考えた。
最初の給食でクロワッサンを2個食べて気分を盛り上げた。
周りに女子の入賞圏内ランナーが何人かいたので見学しながら走った。女の激しい駆け引きが見れて楽しかった。沿道の応援のなかに女子の順位を数えて教えてくれる人がいたが、独りボーイッシュな女性ランナーを飛ばしてたのが笑えた。
10kmくらいからやや走れてきたが、中間点ではすでに脚にきていた。
中間点をすぎて周りがどんどん落ちてきたので、気持ちよく抜いていった。
30kmを過ぎて一人の女性ランナーがペースを上げていったので、ついていって「ラスト5kmで軽く抜かしてやろう」と思っていたら34kmでついていけなくなった。さらに無理なペースアップがたたり35kmから超ペースダウン。その後はジョグペースで後半抜かしたランナーから次々と抜かれていった。
最後はやっとの思いで坂道を上ってゴール。
タイムは悪いがフルを走りきった充実感は十分味わえた。
帰りの車の中ではなんだか気分最高。

<5kmごとのラップ>
22'44−21'59−22'29−22'25−
22'41−23'05−23'03−27'07−12'58

2009/1/10   高滝湖5km  19分44秒 13位
レース前の目標は18分前後で3位くらいだったが、全然だめだった。
最初の1kmは3'33でいい感じで、その後もやや余裕残して全体の流れにのっていた。しかし、3km過ぎのゆるい上りで急激に苦しくなって、腹痛とめまい。残りはジョグ。
なんとか20分は切ったが、13位(40歳以上の部)はショック。
最近は入賞なく手ぶらで帰るのが寂しい。

2008/11/30   つくばマラソン  3:06:36 553位
どのくらいで走れるか予想できなかったので、設定タイムなしでスタート。
走り始めて調子の悪さを感じて、`4'07くらいだがあまり楽に感じなかった。5km到着前に頭痛がしてきて、レースをやめたくなった。
7kmくらいでやや体が慣れてきて、とりあえず最後までかんばろうという気になってきた。
しかし、20kmあたりで体調の悪さが限界にきてペースを落としてサブスリーをあきらめた。
中間点を過ぎて完全にJOGモード。残り20kmがとてつもなく長く感じた。途中、何人かの知り合いランナーと近況報告や今後の予定などをおしゃべりした。
30kmあたりのエイドで飲んだおしるこがおいしかった。

<5kmごとのラップ>
20:49-20:53-21:04-21:16-
21:59-22:58-24:22-23:19-9:52

2008/10/19   長井マラソン  3:16:43 21位
出だしは悪くなかったが17kmくらいで苦しくなってきて、22kmで左ふくらはぎがピクピクしてきた。
このときは6位で入賞圏内だったが、とてもこの状態で走りきれるとは思えずあきらめてJOGに切り替えた。
27kmエイドでやめたくなったけど、最後まで走りきった。
エイドごとで食べたあんぱんがおいしかった。
ラスト2kmは両足が痙攣してがなんとかゴールまでたどりつけた。

<5kmごとのラップ>
 20:21−20:18−19:44−20:39−
 22:44−26:14−27:26−39:25(7.195km) 

2008/9/22   田沢湖マラソン  3:10:53 71位
入りの2kmは下り坂もあって7分56秒だったが、早くも調子の悪さを感じた。なんとかだましだまし走ったが7kmくらいで頭痛と気持ち悪さがでてきて、田沢湖畔にでる22kmで棄権しようかと考えた。
しかし、苦しいのも波があって時々楽になるときもあってサブスリーペースは維持できた。ハーフ地点を過ぎて田沢湖畔にきたときには体は楽になってきた。これならサブスリーは確実、どこでペースアップしようかと考えた。
しかし、25kmを過ぎてからお腹が痛くなってきて、28kmぐらいでは猛烈にクソがしたくなってガマンできなくなって用を足した。その後は元のペースで走ることができずに、気持ちも悪くなってサブスリーはあきらめた。エネルギー切れで頭がくらくらしてきたので、35kmエイドでは立ち止まってバナナを1.5本食べた。7年前にこの場所で棄権して収容バスに乗ったことを思い出した。今年は歩いてでも完走しようと思い、ゆっくりと走ってゴールを目指した。40km地点を過ぎて体が少し楽になってペースを上げられた。ゴールゲートが見えたときは嬉しかった。今までならこういう展開では必ずレースを途中で止めていた。1つのことを最後までやりぬく。自分に一番かけていることだと思う。記憶に残るレースができた。

<5kmごとのラップ>
 20:52−20:34−21:01−20:45−
 21:12−23:11(トイレ2分)−23:12−29:16(エイド2分)−10:46 

2008/6/22   サロマ湖100km  7:48:36 一般5位
入りの1kmは4'40で、まずまずのペース。体調も良かった。
スタート後しばらくしてポカリさんとあいさつ。17kmの折り返しの後にはユッカさんと声をかけあった。
前半は、ゼリーやあんぱん、クッキーなどを食べながら余裕のペースでの走りが続いた。
「ペースは遅いのはOK、`4'30より速くなるのは禁物」と心がけて走った。
ほとんどウォーミングアップのような感じで、55kmのエイドに到着。
ホタテおにぎりが例年以上においしかった。
65kmあたりで脚に疲労がでてきてペースダウン。
70km過ぎではトイレに行きたくなり気持ちが悪くなってきたが、トイレが済んだらすっきりして復活。
74kmエイドでは餅入りのお汁粉を食べてパワーアップ。
79kmまでの向い風にはやや根負け。
80kmからはいよいよワッカ原生花園でのクライマックス。追い風に助けられてペースアップ。
折り返しまでの10kmは48分。すばらしい景色のなか楽しい走りができた。
折り返し後は、ポカリさんやユッカさんたちと声をかけあった。
最後の10kmは向い風のなか`5分ペースで最後の力を振り絞った。
まだ脚は残っていて、最後まで走りきることができた。

<10kmごとのラップ、分>
 45(10km)−45(20km)−44(30km)−45(40km)−
 45(50km)−46(60km)−48(70km)−51(80km)−
 48(90km)−50(100km)

2008/5/18   八ヶ岳野辺山71km  5:48:25 4位
今回は前半抑えて走っていたら27kmくらいで9位まで後退。入賞は6位までなので、「これではまずい」と思いペースアップ。すぐに3人かわして6位に。
35kmエイドではおしるこを急いで食べて、すぐに出発。
10km以上の長い下り坂で後続を引き離して、さらに1人追い越した。
50km手前でさらに1人追い越して4位に、余裕ができたので50kmエイドの手打ちそばをおばちゃんと談笑しながらいただいた。
その後はウルトラの女王Sさんが少し前にいたので追いついて、しばらく世界の走りを観察。59kmエイドまで並走。
Sさんより早くエイドを出発してラストスパート。
65kmまでは快調だったがラスト5kmの上りに入ってから急激に疲労がでてきて脚が重くなった。
ラスト2kmでは手がしびれて完全にエネルギー切れ。
なんとか脚を前に動かして、やっとの思いでゴール地点の滝見の湯へ。
最後は翔太と慶汰と3人で歓喜のゴール。
レース中にアンパン、バナナ、そば、梅干、おしるこなどは食べたがおにぎりを食べなかったのがエネルギー切れの原因か。

<10kmごとのラップ、分>
 47(10km)−55(20km)−47(30km)−46(40km)−
 43(50km)−51(60km)−56(70km)

フルの通過 3:24、50kmの通過 3:58


2008/5/4   春日部大凧ハーフ  1:22:35 40位
過去最多の参加人数。
特にハーフ39歳以下の部が増えた。
ハーフ39歳以下の部で春日部市内1位を狙ったが惜しくも2位であった。
それでも現在の力をほぼ出せたので満足。

5km手前では拓郎(長男)が給水、12km過ぎでは翔太(次男)が給水、慶汰(三男)が応援してくれた。
レース全般で多くの地元の知り合い人たちに声をかけられた。
レース後は庄和走友会の人たちと宴会。
私はウーロン茶のみ。

<5kmごとのラップ>
18:57−19:37−19:51−19:50−4:19

2008/4/12   彩湖マラソン  2:56:46 4位
埼玉県にある彩湖の周り約4.7kmを9周。
1,2周目は余裕のペース。10位くらい。
3,4周目は軽い腹痛や肩に痛みがあったがペース維持。7位へアップ。
5周目以降は、周回遅れと70kmの部がごちゃごちゃで順位も
わからず、コースも飽きてきた。
8,9周目は完全に惰性走行。手がしびれて意識朦朧。
最後の4百mくらいは、後ろから1人追い上げてきたのでペースアップ。
息子たちの応援を受けながら笑顔のゴール。

<5kmごとのラップ>
 20:16−20:15−20:14−20:12−
 20:31−20:52−21:44−22:40−9:59

2008/3/30   佐倉マラソン  2:49:33 22位
前日走ったときは脚が重く頭痛もあって、3時間切るのがやっとかなという感じだった。
風も弱く、気温も最適で過去参加したなかで一番の気象条件。
走り始めてすぐに好タイムはあきらめて`4分ペースを心がけて走った。
15kmですでに脚が動かなくなってきたが、22kmくらいで丁度よい集団に吸収されて、そのまま38kmくらいまで連れていってもらった。
ラスト2kmは完全にバテバテ。

<5kmごとのラップ>
 19:47−19:42−20:03−20:06−
 19:56−19:50−20:22−20:18−9:24
前半1時間24分04秒 後半1時間25分29秒

2008/3/16   荒川市民  2:55:39 118位/800
体調不良により不完全燃焼に終わった。
後半はパン、おにぎりを食べながらのゆっくりラン。
といっても体はかなり苦しかった。
サブスリーできてよかった。

<5kmごとのラップ>
 20:04−19:53−20:01−20:06−
 20:49−21:09−21:51−21:59−9:44
前半1時間24分25秒 後半1時間31分14秒

2008/2/18   東京マラソン  2:45:20 231位
東京マラソン最高!

ネットタイムは2:44:59

<5kmごとのラップ>
 19:40−19:28−19:25−19:26−
 19:43−19:25−19:33−19:46−8:32
前半1時間22分24秒 後半1時間22分35秒

2008/2/4   別府大分マラソン  2:48:21 302位
3度目の挑戦でやっと完走ができた。
序盤は呼吸も若干苦しく、左ハムも変な痛みがあって嫌な予感がした。これも厳しい関門閉鎖によるプレッシャーからか。
2年前に失格収容された11km地点の給水所を過ぎると、気持ちが高揚してきて、15km付近で海が見えると不安感がなくなってきた。
山は薄っすらと雪化粧、どんよりとした天気なので海の色は暗かったが気持ちは晴々。
別府北浜では応援の数も増え、完全にリラックスしてレースを楽しむことができた。
25.5kmまでは向い風、予定よりも速く走っていたので折り返して勝負にでた。
ペースアップできれば2時間45分が切れそうだったので、がんばってみようと考えた。
しかし、32kmぐらいから苦しくなってきたのであっさりとタイムはあきらめて残りは流して走った。
40kmの最終関門を過ぎたときは安心感が体を充満した。
2年間の呪縛から解き放たれた瞬間だった。
競技場まで余韻を楽しむようにゆっくりと走り、ラストのトラック一周は思いっきり走って前を行くランナーをごぼう抜きした。
ゴール後にかけてもらったタオルは極上の毛布のような心地良さがあった。
たくさんの完走者と健闘を称え合い握手を交わした。
興奮して計測チップを返すのも忘れてしまった。
あまりのうれしさで「ふぐ雑炊」をもらうのも忘れてしまった。

<5kmごとのラップ>
 19:27−19:25−19:46−19:42−
 19:53−19:21−19:58−20:58−9:47
前半1時間22分49秒 後半1時間25分32秒

2007/12/9   さのマラソン  2:47:45  9位
つくばのときより4kg体重増加しているのでタイムは気にしないで何とか10位入賞できたらいいなと思いながらスタート。
最初の16kmは上りの向い風だが、それ以上に脚が重い。
折り返して下りに入るちょっと前にスイッチが入ったので、一気にペースアップ。
30km前後で脚にきてかなり苦しくなったが33km過ぎに復活。
ラストは今年最後のレースだから、ちゃんと走ろうと思い`3'40ぐらいまでペースアップ。
記録賞をもらうと9位とわかり思わずにんまり。

この3ヶ月でフル7本。
その内4本がサブ50で入賞は出来過ぎ。
でも、脚の疲労は限界手前まできている。

<5kmごとのラップ>
 20:01−20:53−20:50−18:42−
 19:05−19:55−20:14−19:58−8:04
前半1時間24分40秒 後半1時間23分5秒

2007/11/25   つくばマラソン  2:54:04
二日前の大田原のときより悪い体調での出場となった。
全般的な体調不良と左足の臀部と膝に痛みがあった。
大きな故障になることを恐れてDNSをアップ前まで迷ったが、
アップしたら走れそうだったので、参加を決めた。
前半を`4分で様子をみるつもりが、周りのペースにつられて少し速くなったが、体は余裕だった。
20kmくらいから少し苦しくなったが、30kmまではこのままいけると感じていた。
30km以降に急に体がおかしくなり、手がしびれ、脚の筋肉が動かなくなり、気持ちが悪くなってきた。
ラスト5kmはとても長く感じた。
歩いたら、頭がぐるぐる回って倒れそうだったので、ゆっくりと走り続けてゴール。
ゴール後は、めまいと吐き気で意識が朦朧。
こんなのは初めての経験で死ぬのではないかと思い、家族の顔が頭に浮かんだ。
30分ぐらいすると歩けるようになったが、翌日もまだ手の痺れが残っている。

<5kmごとのラップ>
 19:24−19:25−19:33−19:39−
 19:06−19:47−20:57−23:30−12:38
前半1時間22分3秒 後半1時間32分0秒

2007/11/23   大田原マラソン  21kmでDNF
体のバイオリズムはどん底の状態での出場。
とりあえず自己ベスト目指してやれるだけやってみようという感じで走ってみた。
10kmぐらいまでは普通に走れたが、10km以降に早くも体が苦しくなってきた。
15km以降に強烈な向かい風となり、下記の理由によりレースを止めた。
理由1:レース会場に戻れば、ぶたの焼肉、つきたてのお餅がタダで食べられる。(嫌になるまで食べた)
理由2:二日後につくばマラソンを走る。(結局、つくばも満足な走りができなかった)

<5kmごとのラップ>
 19:33−19:07−19:32−

2007/11/4   ふくしまマラソン  2:44:20
今シーズン初めて気温20℃を下回るレース。
久しぶりに喉の渇かないレースで走りやすかった。
ラスト2.195kmは下り坂だったので7'55。
走り終わって、まだ余力あり。

2007/10/14   長井マラソン  2:46:18 3位
13kmくらいからペースアップ。
ラスト2kmくらいから脱水で失速。

2007/10/7   新潟マラソン  2:46:15 種目9位
暑かったので前半抑えて後半ペースアップ。
ラスト12.195kmは47分41秒。

2007/9/9   北海道マラソン  2:52:45 111位
前半良かったが、暑さに負けて後半失速。

2007/6/24   サロマ湖100km  8:03:17 一般8位
<目標>笑顔でゴール
<結果>
最高の笑顔でゴールができた。
今年は涼しくて走り易かった。
55kmくらいまでは余裕のある走りができたが、キムアネップ岬あたりから完全単独走となりペースが落ちてきた。
サロマ湖リゾートのおしるこはおもちが2個入っていておいしかった。
75km過ぎからかなり苦しい状態となり、85kmまでは気持ちが切れてしまい惰性走行となってしまった。
79kmで家族の応援を受けたが、あまりやる気のない状態でワッカ原生花園に突入。
89kmの折り返しで前を行くエロスさんとすれ違い、やる気が復活。
若干ペースを上げて97kmまでがんばった。
ワッカ出口手前でサンバさんとハイタッチして元気をもらった。
ワッカを出て後続が見えなかったので、この後の観光旅行のことを考えてペースダウン。
ゴール会場入り口から翔太と手をつないで併走。
最後はいっしょに万歳して歓喜のゴール。
ゴール写真は最高の1枚が撮れた。

<10kmごとのラップ、分>
 46(10km)−47(20km)−46(30km)−46(40km)−
 45(50km)−48(60km)−51(70km)−52(80km)−
 52(90km)−51(100km)
フルの通過 3:15、50kmの通過 3:50、70km通過 5:28 

2007/5/20   八ヶ岳野辺山71km  5:50:47 4位
<目標>入賞
<結果>
4位入賞で万々歳。
体は終始苦しくてきつかった。
気持ち良く走れなかった要因として、
故障による練習不足、71kmという距離をなめてしまったこと、エイドでの給食・給水を怠ったことなどがあげられる。
でも、最後まであきらめずに気持ちを切らさなかったことは100点満点。半分以上は応援してくれた翔のおかげだけど。

<10kmごとのラップ、分>
 46(10km)−53(20km)−45(30km)−50(40km)−
 42(50km)−53(60km)−58(70km)

フルの通過 3:23、50kmの通過 3:56 


2007/5/4   春日部大凧ハーフ  1:22:58
<結果>
最大の目標である「種目市内1位」(春日部広報に名前が載る)を2年連続で達成。

アキレス腱痛、ふくらはぎ肉離れなどで2ヶ月以上苦しんだが、5月に入って完治して、急遽全力でいくことにした。
気温の上昇で全般的に記録が悪かったことも味方となった。

前半は抑え気味に入ったが暑さで体は苦しかった。
8km過ぎの土手に上がるあたりから少し調子が上がってきた。
土手の上は暑さが増して意識が朦朧とした。
15kmあたりで土手を下りるとゆるい向い風で少しだけ涼しくなった。
16kmあたりでおそらく種目市内トップと思われるW君を捕らえて、後は逃げるのみ。
`4分の省エネ走法で坦々とゴールへ向った。
後ろの気配を感じなかったのでそのままのペースでゴールした。
まさかの好結果に大満足のゴールであった。
レース後は春日部温泉に浸かり極楽の気分であった。
<5kmごとのラップ>
19:12−19:33−19:50−20:03−4:16

2007/4/15   かすみがうらマラソン  2:59:49 187位
<目標>207位のホノルルマラソン賞ゲット
<結果>
アキレス腱の痛みと3月のふくらはぎ肉離れのため無理のない走りをした。
30kmまでは`4'08ペースで。
6〜9kmくらいは謎の腹痛で一時はどうなるかと思った。
30km以降は207位になるため、ペースを落として順位調整。
ゴール前で1分半くらい立ち止まって、わざと順位を落としていたら競技係の人に注意された。

<10kmごとのラップ> (自己計測タイム 2:58:08)
 41:22−41:21−41:15−44:16−9:54
前半1時間27分14秒 後半1時間30分54秒

2007/2/18   東京マラソン  結果を入力
新宿駅に着くと異様な雰囲気。
トレイを済ませてアップなしでスタート待機エリアへ。
氷雨の降り続くなか、30分以上スタートの号砲を待った。
使い捨てカイロを持って防寒対策していたので寒くはなかった。
スタートの合図とともにクジラのぬいぐるみを頭に被り、可能な限り速く走った。中央分離帯の上を忍者走りでどんどん前に行った。
コースは最初、新宿の街をクネクネと走り抜ける。世界有数の繁華街である新宿を駆け抜けるのは興奮した。
緩やかな下り勾配も手伝って快調なペースで走り始めることができた。
今日の予定は30kmあたりまで`4分弱で行き、その後はできるだけゆっくり行こうと考えていた。
コースは四谷、市谷、竹橋と続きいつも昼休み走っている皇居の前に入った。今日は車道を走っているため、いつもと景色が違った。
沿道からは「クジラ君がんばれ〜」とか「サカナ君がんばれ〜」などの声援が尽きなかった。それにできるだけ応え、手を振って「はーい」とか「おー!」とかこちらが言うと沿道の人は必ず笑顔を返してくれた。
給水所のエリアではボランティの人に向って両手で手を降って、「イェーイ!」と叫びながらダッシュすると、すごく盛り上がった。
12kmぐらいで谷川真理に発見して追い越した。なんか真剣に走っているみたいなので声をかけなかった。
品川で折り返してもの凄い数のランナーとすれ違った。
中間点を1時間24分で通過して、いよいよ銀座に突入した。
なるべく集団をさけて単独で走って銀座の街並みを楽しんだ。
銀座から日本橋への車道を声援をうけながら走るなんてなんて贅沢な遊びなんだと思った。
日本橋を過ぎて浅草に近づくとトップランナーとすれ違った。ジェンガが独走。応援していた油谷は完全に遅れてかなり苦しそうな走り。
`4分ペースぐらいだと3車線の道路はかなり余裕があり、伸び伸びと走ることができた。浅草雷門の前では右に左にジグザク走行で沿道の応援と一体になって走ることもできた。
雷門を過ぎて家族の応援部隊を見つけて少し立ち止まって会話をした。翔太はレース中に立ち止まって会話をすることに驚いて「早く走って」といったが、「今日はお祭りだからいんだよ」と私は答えた。
30kmを過ぎて、ここからはできるだけゆっくり走ることにした。
人形焼やあんぱん、クリームパンなどを食べたり、トイレに入ったりしていたら完全に体が冷えてしまった。
もっとゆっくりする予定だったが、寒くて走らないわけにはいかなかった。
豊洲、有明は未来的な都市空間を感じた。
浅草あたりで完全に気持ちはピークを感じ、残りはクールダウンみたいな感じだったのでゴールは無感動だった。
ベルリン(2002)、ホノルル(2003)、ニューヨーク(2004)を走って第1回目の東京はあまり期待していなかったが、とんでもなかった。
こんなに素晴しい大会は世界トップレベルだ。
帰宅の途中、豊洲駅でボランティと思われる年配の男性に笑顔で「おめでとうございます」といわれたのがとてもうれしかった。
大東京マラソン祭りは大成功に終わった。


<5kmごとのラップ>
19:49−19:36−19:44−20:44−
21:09−21:55−27:04−39:24−13:30

2006/12/10   さのマラソン  2:48:43 12位
<目標>10位入賞
<結果>
前半は16kmまで120mをダラダラ登りでペースが上がらなかった。なんとなく脚もしっくりこなくて山の景色を見ながら調子があがるのを待った。
下りに入ってもうまく切り替えできずに、思ったほどペースは上がらなかった。
中間あたりからは若いあんちゃんとの併走がずっと続き、お互い引っ張りあう形となり前をいくランナーを抜いていった。
結局、若いあんちゃんと肩を並べて競技場に入り、トラック勝負となったが、あっさりと離された。
ゴール後は堅い握手をして健闘を称えあった。
入賞できなくて少し残念。

<5kmごとのラップ>
 19:45−20:22−20:25−19:55−
 20:02−19:58−19:53−20:02−8:16
前半1時間25分1秒 後半1時間23分42秒

2006/11/23   大田原  2:49:44 66位
<目標>特になし
<結果>
レース前のアップは体が重く感じ、42km走れるか不安であった。
出足はちょっと苦しかったが、いつもフルで近くにいる人についた。
3kmくらいで呼吸が楽になってきて、「走れ!C62」さんに追いつきしばらく後ろにつかせてもらった。
しばらくは集団のなかで余裕の走りをしていたが、13kmくらいでなんとなくいけそうな感じになって、集団から飛び出して前の集団へと向った。その途中で若旦那さんを追い越した。
新たな集団の中でひと休みしてから、また一人飛び出した。
「今日は記録を狙って集団で走るよりも自分の好きなように走りたい」と思ったからだ。でも、20kmですでに脚に疲労を感じペースが意外にも落ちていることが判ると疲労感が増した。
中間点を過ぎ、前を行くランナーを標的にガンガン行った。
「行けるところまで行っちゃえ」という感じで走った。
行けたのは29kmくらいだった。30km手前で突然脚にきてガクッとペースが落ちた。
でも気持ちは切らさずにとにかく粘った。
ラスト5km手前で「走れ!C62」さんに追い越されてから、少し走りを切り換えてできるだけ離されないようにその背中を追った。
ラスト4kmで2時間33分。`4分15秒で2時間50分が切れるとわかったので、最後の力を振り絞った。
競技場に入って50分切りを確信すると最後は軽く流したが、ゴール後は充実感でいっぱいだった。
今日はランニングを始めて最初に買ったランシャツランパンを着て走った。
初心に戻ることができた一日であった。

<5kmごとのラップ>
 19:23−19:44−19:52−20:04−
 19:07−19:48−20:59−21:21−9:22
前半1時間23分17秒 後半1時間26分27秒

2006/10/1   別海町パイロット  2:49:08 10位
<目標>2時間45分切り
<結果>
前半は`4分弱の集団の中で待機。飛び出したい気持ちをひたすら抑えて我慢。脚は余裕あった。
折り返しの中間点手前で7人くらいの集団が急にバラけた。そのときの順位は15位くらい。一番マークしていたMさんと少し間が開いてしまった。
25kmまではタイムはビルドアップ。しかし、後半は気温も上がり喉の渇きも早くなった。何よりも最近よくやる脚の痙攣が怖かった。今にもビリッときそうだったので、冒険はやめて25km以降はペースを落とした。
30km以降は10位争いのマッチレース。41kmでスパートをかけて勝負を決めた。
10位入賞。

<5kmごとのラップ>
 19:55−19:47−19:39−19:36−
 19:30−19:58−20:44−20:53−9:02
前半1時間23分17秒 後半1時間25分51秒

2006/8/27   北海道マラソン  3:00:50 167位
<目標>2時間45分切り
<結果>
スタート前、気温30.8度の快晴。
暑かったけど予定通りに5km19:30のペースで行くことにした。
積極的にいったら千葉ちゃんのすぐ後ろを走っていた。入りの1kmは3'35でこれは少し速いので、あわててペースダウン。
15km地点で2時間45分切りは無理と判断してペースを落とした。しばらくは、練習でのペース走のような淡々とした走り。
25kmあたりは余裕過ぎてレースとは思えなかった。
しかし、35km以降にそれまで近くに走っていた女性ランナーに付いていけなくなってから急激に脚が動かなくなった。
「あれっやばいかな」って不安がよぎった。
40kmあたりは完全にJOG以下の走りでどんどん抜かれた。
すすきのでは沿道の大声援を楽しんだ。中島公園に入ってタイムを確認して、サブスリーを確信した。そのままいってもサブスリーだったがラスト600mということで急激にペースアップ。するとゴール手前200mあたりで右足のハムが激痛。あまりの痛さに全く動けない。ストレッチすらできないほど痛くてしばらく固まっていた。沿道からは大声援の嵐。痛みがなくなって本当は走れたけど悲劇のヒーロー気分で、片足を引きずって歩いた。さらに大声援。「ゴールまであとどのくらいですか?」本当は知っているけど、わざと沿道の人に聞いた。「もうあと100mくらいですよ、がんばって」その言葉を聞いて、また走り始めた。掲示板の時計を見ると3時間0分の表示。「え〜うっそ〜!」とっくに3時間越えていると思っていた。こんなことなら、脚の痙攣が治まったらすぐに走っていればよかった。
こうして2年前から続いていた連続サブスリー記録が16回で途切れてしまった。

<5kmごとのラップ>
 19:45−19:38−19:54−20:38−
 21:17−21:10−22:06−23:17−12:52
前半1時間24分35秒 後半1時間36分15秒

2006/8/6   日光杉並木10km  37:49 28位
<目標>初の36分台
<結果>
会場について杉並木のコースを見てビックリ。300年の歴史はダテではない。こんなコースを走れるとは気分が盛り上がった。
しかしコースの高低差を実際に見て36分台はあきらめて、道マラの予行練習に切り替え。
前半は下り。ややペースを抑えて5kmを18'04。ほとんどが下りだったため体感よりも速かった。「こりゃ、37分切れるかな」と思ったけど、後半の上りは思ってた以上にきつかった。
体感的にはいい感じで走っているのだが`4分がやっと。ラストスパートでちょっと上げて後半5kmは19'45。
夏の暑さを忘れてしまう爽やかなレースだった。

2006/7/16   白馬クロカン4km  17:47 12位
<目標>3位までのメダルゲット
<結果>
メダルどころか10位入賞もできず。
体調は悪くなかったが、泥んこのクロカンコースに対応できなかった。
`4分27秒はサロマの前半とあまり変わらないタイム。

2006/6/25   サロマ100km  8:04:45 一般4位
<目標>三男の慶汰といっしょにゴール。
<結果>
ゴール会場の入口に近づくとブラスバンドの演奏が始まった。あの角を曲がればすぐゴールだ。最後の力を振り絞って走った。全身極度の疲労で自分の体ではないようだ。
角を曲がるとゴールテープよりも慶汰の姿が最初に目に入った。ゴールの30m手前で緊張の面持ちでパパを待っている。そして一緒にゴールに向けて走った。「速い、速い、もっとゆっくり走ってくれ。」場内アナウンスでは昨日申請しておいたメッセージ「慶汰、パパはがんばったぞ」が流れたがおそらく彼の耳には届いていないだろう。
「がんばった」のは今日のことではない。
5年前、お前がママのお腹の中ですくすくと育っているときにパパも何かママといっしょに「がんばろう」と思って初めてウルトラ参加を決めた。
初ウルトラを疲労困ぱいのなか「がんばって」完走してお前が生まれた。
あれから4年、この子と一緒にサロマ100kmのゴールテープを切れる幸せ。
完走メダルは私でなく慶汰の首にかけられた。
今週迎える彼の4回目の誕生日へのささやかなプレゼントとなった。

<10kmごとのラップ、分>
 46(10km)−46(20km)−46(30km)−46(40km)−
 48(50km)−49(60km)−50(70km)−51(80km)−
 51(90km)−53(100km)
フルの通過 3:13、50kmの通過 3:51、70km通過 5:30 

2006/5/21   八ヶ岳野辺山100km  8:45:23 総合7位
<目標>レース中の食べすぎ注意。
<結果>
75km以降がとにかく苦しかった。馬越峠の4kmは前半は走ったが、後半は歩いたり走ったり。気持ちが悪くて身の危険を感じた。
79kmエイドでは「きのこの山」をポリポリ食べながら、峠を降りていく5位と6位のランナーを見ながら、「もう、やめちゃおうっかな〜、こんなこと」と考えていた。
88kmで熱々のうどんをおいしくいただき、汁まで飲みきるとだんだん復活してきて、登り区間も`5'30を切って走れるようになってきた。
ゴールは昨年よりも余裕があった。

<10kmごとのラップ、分>
 45(10km)−55(20km)−44(30km)−50(40km)−
 44(50km)−51(60km)−56(70km)−69(80km)−
 57(90km)−55(100km)
フルの通過 3:22、50kmの通過 3:58、70km通過 5:45 

2006/5/14   仙台国際ハーフ  1:20:13 男子121位
母と子供をつれて、仙台の親戚の家へ行くついでに。

<結果>
仙台国際ハーフは最高にすばらしい大会だ! とても楽しめた。
北海道マラソンや長野マラソンに劣らないトップクラスの大会だと思う。でも、陸連登録者のみ。

前日は寒さで体調を崩したが、当日は劇的に回復した。
暑くて風が強かったので好記録は無理かなと少し弱気でスタートラインへ。でも、1時間18分くらいを目標に。
走り始めて最初の5kmで積極的にいけなかったので自己ベスト更新狙いに。その後も風が気になりリズムに乗れなかった。
9km地点で翔太、慶汰、母、伯母の応援。慶汰は応援よりチョコ食べるのに夢中。こっちから声をかけたら、やっと振り向いた。
このへんから若干ペースアップして追い抜きモードへ。
17.6kmで再び家族の応援。慶汰は今度は砂いじりに夢中。こっちから声もかけられない。
ギリギリ80分切りかなと思っていたが、20km過ぎに左ふくらはぎが痙攣。仕方なくペースダウン。
ラップ付き記録集を見ると、5km以降抜かれたのは2人、10km以降に抜かれたのは0人。
スタート後にもう少し突っ込んでみても良かったか?

<5kmごとのラップ>
18:59−19:05−18:50−19:10−4:09

2006/5/4   春日部大凧ハーフ  1:19:33 種目20位
<目標>今年もコース自己ベスト更新。1時間24分。

<結果>
コースベストを5分半更新!しかも市民1位の生涯大目標達成!
自分でもビックリの3度目の80分切り。
マイホームタウンを走る最重要レース。早く40才になって入賞狙いたいなと考えていたが、39歳以下でも可能性がでてきた。あと10人。
[0km〜5km]
暑くなりそうなので帽子を被った。スタート前はY師匠と昨年市民1位のWさんと談笑。緊張感なし。
スタート直後にSAIさんとごあいさつ。しばらく併走が続いた。
地元のためたくさんの人に声をかけられ、それに応えた。警察官の鷲尾さんとハイタッチ。
[5km〜10km]
好調を感じた。Y師匠を引き離し余裕のあるペースで進めた。江戸川土手に上がっても全然苦しくない。こんなの6度目の出場で初めて。
[10km〜15km]
追い風に乗ってペースを維持。12km龍Q館前で家族の大応援。喧嘩中の妻の姿を見て、ほっとした。来てくれないと思っていた。
[15km〜20km]
土手を降りると昨年市内1位のWさんを発見。俄然やる気がでてきた。後ろにつくか迷ったが、イッキに抜いて引き離した。気分はシドニー五輪のQちゃんのシモンとの一騎打ち。
ランニングを始めた2000年12月の駅伝で初めてWさんを見たとき、その締まった足、特にハムストリングスの筋肉を見て「すっげー足だな、こりゃ人種が違う」と思ったが、その彼を追い抜くときがついに来た。
[20km〜ゴール]
1km手前で翔太に帽子を預けてラストスパート。女子高生チアリーダーの応援におもいっきり応えて最後のトラック半周へ。この1.0975kmは初の3分台。

<5kmごとのラップ>
18:48−19:00−18:51−18:55−3:58
※10kmのたて看板は240mくらい位置がずれていた。上記は路面マーキングの10km地点のラップ。



2006/4/16   長野フル  2:50:21 男子125位/5千
<目標>仮装でサブスリーペース。天使のコスチューム購入済み。
だったけど、やっぱり真面目に走る。
<結果>
15kmで急に疲労がでて後半撃沈。ほろ苦いレースとなった。

前半は走れエロスさん、若旦那さん、ギリシャの女性ランナーの集団で想定通りのペースだった。14kmまでは完全に体に余裕はあった。しかし、15kmで急に足が重くなり集団から10m離された。「なんでこんなところで?」と思いながらなんとか粘って`4ペースは維持。その後は、ギリシャの女性ランナーを含む集団にひっぱってもらった。35kmあたりになるとギリシャの女性ランナーについているのは自分だけになった。しかし、38kmで離されると足が全然動かなくなり気持ちが切れた。松代大橋はJOG以下の走り。オリンピックスタジアム手前でWeb練習日記の幟が見えて復活。キッドさんの前ではちゃんと走った。そのままの勢いでオリンピックスタジアムに入り、グランド内は前後のランナーがいなくて超気持ちいい単独走。ゴールしたとき丁度男子の表彰式で会場内は盛大な拍手。「自分のために拍手?」とちょっと勘違い。
フェアウェルパーティーは料理食べまくり。
あこがれていたアベラとツーショットで写真がとれて、会話もできて良かった。すごく明るくて気さくな人だった。

<5kmごとのラップ>
 19:19−19:13−19:24−19:45−
 19:49−20:34−20:48−21:44−9:34
前半1時間22分04秒 後半1時間28分11秒

2006/3/26   佐倉フル  2:50:55 22位/1970
<目標>クロワッサン食べながらサブスリー。後半の風車までは全力、あとはなりゆき。

<結果>種目8位で入賞。賞状と楯(小さいけど鏡でできていてキレイ)をゲット。
記録証を受け取ったとき順位を見て小さくガッツポーズ。

前半ゆっくり入ろうとは思っていたが、`4分を超えているのは意外だった。体はあまり余裕を感じていなかったので、今日は調子悪いと判断。
13kmくらいでやっとリズムにのり始めたが、急な坂道が続きペースダウン。
中間点を過ぎてから向い風区間に入り集団の中で待機。エネルギーをためた。
風向きが変わった25kmあたりからペースアップ。
順位は判らないけど、「自分は10位前後だと」信じて走った。(実際そうだった)。
競技場までの41km過ぎからの坂は、かなりきつかった。
この日は足は大丈夫だったが、時々吐き気があってマイッタ。
全般的にイーブンで、後半はごぼう抜きできて気持ちのよいレースだった。

<5kmごとのラップ>
 20:06−20:00−20:19−20:06−
 20:38−19:56−20:06−20:25−9:15
前半1時間24分58秒 後半1時間25分57秒

2006/3/19   荒川市民  2:56:27 陸連男子:102位/1053
<目標>2時間45分をきる。
<結果>30km以降大撃沈。
3月としては記録的な強風と風邪が治りきってなかったことが原因か?
しかし、記憶に残る楽しいレースであった。
前半は予定通り5kmを19分20秒ペースでいった。追い風にのって足に余裕はあったが、体調にやや不安があった。
折り返し後は強烈な向い風。だんだんタイムが落ちてきた。
27kmで家族の応援。翔と慶の大きな声援に笑顔で応える。幸せの極み。
30kmのタイムを見て、記録は完全にあきらめた。
33kmくらいから走れエロスさんの姿が見えてきて、その差が少しずつ縮まってきた。気分転換でパンとシャーベットを食べた。向い風が冷たくてシャーベットはおいしく感じなかった。しかも、その後お腹が少し痛くなった。
ラスト5kmで走れエロスさんとの差が30mくらいに近づいたが、急に疲労がでてきてあっという間に見えなくなってしまった。
ゴール後は、マーキュリーSさんの初サブスリー達成を待っていると見事2時間59分台で歓喜のゴール。ゴールの瞬間は見ていないが。

<5kmごとのラップ>
 19:32−19:20−19:17−19:26−
 19:55−20:22−22:26−24:27−11:38
前半1時間21分47秒 後半1時間34分40秒

2006/2/19   青梅マラソン  1:55:05 136位
<目標>5km19分ペースで1時間54分。
<結果>タイム、順位ともに自己ベスト更新!
スタート地点で今日のライバル、ヌキヌキさんとSAIさんにご挨拶。
スターターはQちゃん。
序盤の5kmは19分丁度でまずまずのスタートがきれた。体も温まっていき楽になってきたが4kmの給水をパスして喉が渇いて嫌な予感。7kmぐらいで左足甲が痛くなり、左足が踏ん張れなくなってきた。このまま走りきれるか不安な状態。とりあえずいけるところまでいってみようと思った。折り返しが近づき、遥か前をいっていたヌキヌキさんとSAIさんが射程圏内に。折り返し直後、SAIさんをかわして、ヌキヌキさんにも接近。一度はヌキヌキさんに並んだ。しかし、丁度並んだときに右ふくらはぎにビリッと電気が走った。左足をかばって走ったせいか、右足に負担がかかっていた。その後は、ヌキヌキさんの背中がどんどん遠くへ。
22km以降は、戦意喪失でペースダウン。
後ろから抜かされるたびに、走れエロスさんではないかとビクビクした。
27kmくらいで後ろの応援がにぎやかだなと思ったら、りっちゃんがいた。初めて生のりっちゃんを見た。一生懸命走っている姿に共鳴して、こちらもペースアップしてそのままゴール。
終わってみれば、25km前後の不甲斐無い走りが悔やまれる。
走り終わって、左足甲と右足全般がボロボロの状態。

スタート地点まで約3秒
ラップ:19:03(5km)−18:58(10km)−19:16(15km)
−18:51(20km)−19:53(25km)−19:03(30km)

2006/2/5   別府大分毎日マラソン  失格
<目標>完走、自己ベスト更新。2時間45分を切る。
<結果>レース当日の点呼してなくて、失格。
昨夜、少し食べ過ぎたがまずまずの体調で少し自信もあった。
スタート後ゆっくり入って、1km通過が4分ちょうど。
関門は`4分ペースだけど、あわてずペースは上げなかった。
自然とペースが上がっていて最初の5kmのラップが19分17秒、気持ちに余裕ができた。
5kmの折り返し後、追い風にのって完全に余裕状態。10kmまでの5kmは19分6秒。
2時間45分切りに向けて順調な滑り出しだった。
しかし、11km地点で後ろの審判車から「428番失格です。競技を止めてください。」の放送。なんのことだか理解できなかった。「昨夜のパーティで関さばを一人で大量に食べたのがいけなかったのか?」そのぐらいしか思い当たらなかった。歩道に上がって、点呼をしていないと言われて呆然。そんなの知らなかった。
せめて別府湾まで走りたかった。
でも、優勝したゲートタイスと並走したり(テレビにばっちり映っていた)、最終ランナーが通過するまで沿道で応援できたり、いろいろと楽しめた。


2005/12/18   防府フル  2:50:48 162位
<目標>本命レース。ツアー手配済み。
<結果>前日から雪。昼でも3度前後の寒さ。雪まじりの冷たい風が吹く中。
初のエリート大会に参加。みんな速そうな人ばっかりで、やっぱり感じが全然違う。何で自分がここにいるのか少し疑問。
お腹の調子が悪く、スタート10分前までトイレの中。
スタートを待っている間、寒くてみんな震えていた。
最初の2、3kmで体の重さを感じて、5km過ぎでわき腹が痛くなりペースを上げられない。関門収容が頭をよぎったので、`4分くらいで様子をみようと判断。この時点で記録は断念して完走が目標となった。原因は昨日生ものをたくさん食べたことと、1.5時間前に食べたソーセージパンかな。ソーセージパンはレース後に食べようと用意していたのだけど、つい食べたくなって・・・
18km過ぎくらいでお腹の痛みがなくなったので、気持ちペースアップ。20kmくらいで先頭集団とすれ違い感動。
厳しい25km関門をクリアしてからは安心して、ここから苦しくないペースへ。特に目標がなくなってがんばれないから、レースの雰囲気を楽しんだ。
36km過ぎでまげちゃんと遭遇してごあいさつ。「初めまして」
ラストのトラック一周は気持ちがよかった。
こんなにすばらしいレースに参加できて幸せ。

<5kmごとのラップ>
 19:41−19:46−20:12−20:08−
 19:50−20:46−20:42−20:48−8:55
前半1時間24分01秒 後半1時間26分47秒

2005/12/4   加須ハーフ  1:20:47 種目17位
<目標>入賞狙い、自己ベスト更新、
ランナーズ企画「L−カルニチン」モニター企画で参加。
翔太、親子の部参加
<結果>
翔太が「ママよりパパといっしょに走りたい」と嬉しいことを言ってくれたおかげで、予定変更で親子の部に参加。`6分は逆にきつかった。ゴール後、急いでハーフの準備とスタート地点へ移動。伸びきった気持ちの切り替えが難しかった。
ハーフはY師匠との久しぶりの対決となった。
入りの1km3'43、2km3'47と丁度良いペースであったが、3km過ぎから苦しくなりペースダウン。平成国際大学の集団の後ろについて、引っ張ってもらったが8km過ぎの2度目の坂でついていけなくなった。その後は、Y師匠とのマッチレースとなった。向かい風でも互いに後ろにつくことなく真っ向勝負となった。後半に入って足は少しきつかったが呼吸は楽だった。どこで勝負をかけるか迷っているうちにY師匠がラスト5kmでペースアップした。付くタイミングを逃して20mくらいの差がつき、そのままゴールまで追い着くことができなかった。先に勝負をかけていれば、結果は逆だったかもと少し後悔。
`3'50で最後までいけたので内容は満足。
家族とセトロ夫妻の応援と、多数の知り合いとのレース中の励ましあいなど楽しいレースだった。
<ラップ>
7:30(2km)−49:58(2〜15km)−23:20(15km〜ラスト)

2005/11/20   上尾ハーフ  1:23:43 615位
<目標>自己ベスト更新
<結果>
調子悪くてダメダメだった。でも、レースとしは楽しかった。
箱根駅伝に参加するような大学生の走りが生で見れて感激。思わず見とれてしまった。すれ違ったときは鳥の大群のようだった。
レース後のトン汁、キウイもおいしかった。
最初の1kmが4分ちょいで「うそ〜」って感じ。その後、少しずつペースをあげていったが、中間点で完全に気持ちが切れて、JOGになったがあんまり抜かされるのも気分が悪いのでラスト5kmはペースをあげた。
<5kmごとのラップ>
19:45−19:28−20:23−19:47−4:07

2005/11/6   成田POPハーフ  1:22:0 15位
<目標>入賞狙い
<結果>
スタート前、目標は20分カットで結果的に22分くらいかなっと考えていたら、そのとおりになった。
スタート直後に宮井仁美ちゃんが前にいたので、レースを捨てて彼女を観察して何かヒントを得ようかなと考えたが、少しおしゃべりをして彼女が「今日はJOGです」というので先に行った。ちょっときついかなというぐらいのペースで積極的にいき、いけるところまでいこうとした。苦しいけど最後までいけるかなという局面もあったが結局、もったのは中間点くらいまでだった。終盤のアップダウンがきつい体に追い討ちをかけた。肉体的には撃沈してもおかしくない状態だったが、粘りに粘って`4分は維持できた。レース展開としては下手なレースだったが、練習としてはとてもよかった。レース後の疲労もハーフとしては最大級であったのも、力を出し切った証。
<5kmごとのラップ>
18:58−19:06−19:47−19:53−4:14

2005/10/16   長井マラソン  2:53:03 総合優勝
<目標>2週連続のフルだから2時間50分くらいかな。家族旅行を兼ねて。
<結果>
まさかの総合優勝!
前日、登山で左膝を痛めたり、天ぷらでお腹を壊して下痢になったりプチトラブルがあったが、まずまずの状態でスタートラインに立つことができた。
それでも本調子ではないので、`4分くらいで様子を見て5位以内を目標とした。
・スタート〜5km:最初は余裕をもって入り8位くらい。ハーフと10Kが同時スタートのため、順位がわかりづらい。日差しが強く少し暑い。20℃は超えているだろう。2qくらいで3位集団形成。ペースは予定通り`4分。
・5q〜10q:2位のランナーと合流して2位集団形成。暑くてみんなすごく汗をかいている。給水前に持参した塩を摂取。
・10q〜15q:体はまだまだ余裕。膝も大丈夫。お腹が少し痛いのが気になる。ハーフ組が折り返しでいなくなり前方にランナーが見えなくなる。14qで家族の応援。前は一人であると教えてもらう。
・15q〜20q:2位集団ペース落ちた。みんな入賞狙いで守りに入ったのか?のどが渇いて給水所までが長い。
・20q〜25q:中間点の折り返しでトップとの差は5分弱。2位集団がばらけた。さ〜て、どうしようか。答えは「行っちゃえ!」。少しペースをあげて単独2位となった。
・25q〜35q:後ろに気配は感じない。完全単独走。最近いつもこのパターン。単独走は本当につらい。35qのコース最高地点に達して2位を確信。あとは下るだけ。
・35q〜40km:下りに入ると、ず〜っと前にランナーが見えた。トップか?ハーフの最終ランナーか?そのランナーの前に先導車が走っているのでフルのトップとわかった。思わず笑みがこぼれ、舌なめずり。さーて、どのように料理してやろうか。じわじわと詰め寄り、いっきに追い抜いた。ここからがきつかった。
・40km〜ゴール:一般公道を先導車の後ろを走るのは初めての経験。苦しくて楽しむ余裕はない。後ろのランナーが気になるが、怖くて後ろを見れない。先導車からは「まもなくフルマラソントップのランナーが・・・」の放送。「ゴールで待つ家族は驚くだろうなぁ。」と頭に浮かんだ。みんなの前に姿を見せたときは予想通り、みんなものすごく興奮していた。ゴール100M手前で小さくガッツポーズ。3人の息子たち拓郎、翔太、慶汰が沿道を並走する。
そして感無量でゴールテープを切った。人生で最高に幸せの瞬間だったかもしれない。

<5kmごとのラップ>
 19:52−20:02−19:55−21:19−
 20:46−20:30−20:51−20:34−9:09
前半1時間25分56秒 後半1時間27分07秒

2005/10/9   新潟マラソン  2:59:32 総合40位
<目標>昨年の雪辱を果たす。前半から飛ばす。チャレンジレース。
<結果>
先週から体調が悪く、当日も万全ではなかったのでゆっくり入って様子をみた。
7kmくらいで腹痛でペースダウンして、気がつくと歩いていた。ゆっくり走って、また歩いてを繰り返して「連続サブスリーが途絶えるか」「どこで止めようか」と考えた。
ゆっくり走っていたら腹痛が和らいできて、13kmくらいの下りで勢いがついてペースが上がった。その後も、腹痛とめまいを繰り返して、「とりあえず30kmまで走ろう」と考えながら走った。
30kmになんとかたどりつくと、サブスリーの可能性があることを確認。給水所のパンを食べて気分転換してから、向かい風のなか海沿いの道をロングスパート。前を行くランナーをガンガン抜かした。
ラスト5kmは初サブスリーの時を思い出した。
フルマラソンの厳しさを思い知ったレースであった。
<5kmごとのラップ>
 20:18−22:02−22:16−20:15−
 21:08−21:38−21:40−21:08−8:59
前半1時間29分31秒 後半1時間29分59秒

2005/9/18   田沢湖マラソン  2:47:46 総合10位
<目標>2時間45分切り。
2001年は初サブスリー狙って、ガス欠で35kmDNF。
2004年は福岡B資格(2時間50分)狙って、失敗(2時間57分)。
2005年、3度目の挑戦。
<結果>今年も目標達成できなかった。
でも、前半から積極的に走れたので悔いはない。35km以降失速したのは力不足の証し。夏は終わった。

・0〜5km:調子良いことを実感。下りを抑えて、上りを攻めた。
・5〜10km:下りで自分のいる集団のスピードが上がった。初の5km18分台。14位。
・10〜15km:先のことを考えてペースを落とした。かなり余裕あり。
・15〜20km:気持ちペースアップ。予定より1分の貯金ができて、2時間45分達成できると思った。10位。
・20〜25km:田沢湖周回に入って、まだまだ余裕あった。9位。
・25〜30km:ここから完全単独走。急に足が重くなってきた。やばいペースが落ちた。
・30〜35km:もういくしかない。ペースアップしたつもりだったが、上がらなかった。ここも完全単独走。
・35〜40km:急な上り坂で完全に足にきて、あきらめた。37kmくらいで8位に上がってこのままいけば入賞とうれしさが込上げたが、ラスト3kmで別の二人に軽く抜かされた。がっくり。
・40km〜ラスト:もう力は残ってない。

<5kmごとのラップ>
 19:36−18:39−19:48−19:11−
 19:45−20:01−19:59−21:16−9:28
前半1時間21分35秒 後半1時間26分11秒

2005/8/28   北海道マラソン  2:48:59 男子113位
<目標>2時間45分切り。
<結果>約4分足らず。残念、無念。
体調は万全だったので、力不足としかいえない。
前日の13時半ごろに札幌市内をJOGしてみて、やや暑いと感じ少し弱気になった。
当日の朝8時ごろ外にでると、日差しが強くかなり暑い。
5kmごとのタイム設定は計画しているが、体感重視でいくことに決めた。
スタート前の準備(トイレ、食事など)はばっちりOK。
スタート後も順調なすべりだしだったが、2〜3kmが落としたわけでもないのにタイムが15秒落ちた。その間に走れエロスさんに声をかけられ、あっというまに視界から消えた。
その後の下り区間でもペースは`4分でなかなか上がらない。
10kmで目標タイムを完全にあきらめ、今日はこのまま`4分で行こうと決めた。
走っていて暑いとは感じないが、汗は大量にかいているのでやっぱり暑かったのだろう。日差しもところどろろで強かった。
体感的に無理のないペースで走ったので、後半もあまり苦しまなかった。
40km過ぎの大通りの応援は感動した。とても気持ちよかった。

<5kmごとのラップ>
 20:10−19:58−19:36−19:53−
 19:53−19:53−20:13−20:18−8:59
前半1時間24分5秒 後半1時間24分51秒

2005/8/7   奥武蔵ウルトラ75km  6時間12分6秒 総合5位
<目標>昨年より良いタイムで。
<結果>北海道マラソンで2時間45分切りが急遽目標となったため。無理のない走りで体にダメージを残さないようにすることが条件となった。
そこでキロ5分の余裕のペースで行くことにした。
20km通過は昨年より悪いタイム。でも疲労感はゼロ。
その後もキロ5分で走っていると、どんどん前を行くランナーを追い越し、35kmでは総合10位、45kmでは総合7位となっていた。
後半は下り傾向でキロ5分が逆に維持できなく、ペースが上がってしまい余計な体力を使ってしまった。気持ちも体力も余裕十分でゴール。種目4位、総合5位のおまけがついた。
今年もエイドでは、いっぱい食べて、いっぱいしゃべって楽しかった。やっぱり体重増えていた。
<5km毎のラップ>
 25:13-24:47-24:29-29:01-25:09-25:09-
 26:25-24:51-24:10-23:00-24:26-23:36-
 24:37-24:31-22:37
フルの通過 3時間35分
ラスト30kmは2時間23分


2005/7/17   白馬4km  15分46秒 6位/29人
<目標>ぶたの丸焼き目当て。
<結果>
ぶたの丸焼きおしかった。それ以上に手打ちそばが最高!
なんてグルメな大会なんだ。
スタート直後の最初の坂ですでに苦しい。1km通過が長く感じた。
2kmで少し弱気になってきた。クロカンコースは初めてだが、こんなにきついとは思わなかった。下が柔らかいのも影響しているだろう。
3kmで3位以内のメダルをあきらめ惰性走行になった。
気持ちの上で反省点の多いレースとなった。


2005/6/26   サロマ100km  8:15:34
<目標>少しがんばってみよう。
<結果>
ダブルさんの教え「最初ゆっくり」を念頭に入れて、入りの1kmを5分で走ったが、平坦で海風が涼しいコースでペースが自然と上がってしまった。おまけに35kmくらいで女子の先頭が視界に入りペースが上がってしまった。そのころ太陽がギラギラしてきて、急激にのどが渇いてきた。しまった!と思ったときには既に遅く脱水症状になってしまった。55kmでサンバかおりんさんの応援をもらって、少し元気が復活。しかし、70kmくらいではリタイヤも考えた。とりあえず「お汁粉」までがんばろうと思い、フラフラの状態で鶴雅リゾートに到着。お汁粉を食べて、リタイヤ者の待機所を横目に見ながら、やけくそでワッカ原生花園へ向かうと、つつみさんに声をかけていただき、引っ張ってもらった。78kmくらいから、それまでの苦しさがウソのようになくなり、ワッカ原生花園を楽しめた。オホーツク海とサロマ湖の美しさが印象的だった。ラスト2kmはスピードを上げて、気持ちよくゴール。

<10kmごとのラップ、分>
 45(10km)−45(20km)−44(30km)−45(40km)−
 45(50km)−51(60km)−54(70km)−59(80km)−
 53(90km)−55(100km)
フルの通過 3:08、50kmの通過 3:43、70km通過 5:29 

2005/5/22   野辺山100km  9時間23分 総合8位
<目標>エイド完食、途中入浴
<結果>
10km過ぎでトイレ大のロスがあったが、50kmまで真面目に走った。
50kmのエイドで手打ちそばがあって、あまりおいしいのでついついおかわりを重ねて満腹状態。まともに走れなくなりタイムを気にせず、エイドでは長話などのんびり行くことにした。
60km過ぎくらいから再び走れるようになってきた。すると、登り坂を苦しんでいるランナーを次から次へと抜くことができた。
馬越峠はかなり苦しんだ。標高が高くなると体が思うように動かなくなり特に左腕が麻痺した感じで動かなくなった。とうとう500mくらい歩いてしまった。
78km以降の下りは良く走れた。90kmまでは軽快に走れて順位を3つ上げた。このとき疲労もあまりなかった。
しかし、90km以降は登り坂が続き苦しくなり、キロ6分でも走れなくなった。お腹もすいてきてエネルギー切れ状態。
最後の曲がり角が見えたときは、めちゃくちゃうれしかった。
<10kmごとのラップ、分>
 47(10km)−58(20km)−49(30km)−52(40km)−
 45(50km)−69(60km)−57(70km)−67(80km)−
 52(90km)−67(100km)
フルの通過 3:35、50kmの通過 4:11、70km通過 6:17 

2005/5/4   庄和大凧ハーフ  1:25:10 
<目標>地元のレース。かっこよくきめる。
<結果>
5年連続のコースベスト更新(しかも3分以上!!)。タイムもほぼ予定通り。
1週間前から風邪でまともに走れないかと思ったが、当日は比較的体が良くなった。
最初の5kmはいつもと変わらない調子で、Y井さんの後方30mで待機。しかし、土手に上がってから追い風なのに体が苦しくなってきた。暑さに体が耐えられない。むしろ向かい風のほうが涼しくてよかった。給水所まで遠く感じた。10kmあたりではすでにあきらめモード。こんな暑い中、こんな悪い体調で走る意味がどこにあるのかと自問した。その答えは12km過ぎの龍Q館前にあった。家族全員の応援が待っていた。3男慶汰は太鼓、次男翔太はフライパンを叩いての応援。幸せを実感。苦しさがいっきに吹き飛んだ。
ラスト5km付近で頭にピカチュウさんと会話をしながら並走。しかし、呼吸が苦しくてだんだん離された。ラスト4kmでタイムを確認すると1時間25分を切れる可能性があった。幸い向かい風で暑さが和らいだので、ラストスパート。頭にピカチュウさんを追い越し、50m前を走るSAIさんを目標にした。10mくらいに差を縮めたら、SAIさんは足をひきずり歩き出した。ラスト1kmで再び家族の応援。コースを少し外れて、慶汰の頭を撫でてあげた。みんな暑いなか応援ごくろうさま。
このコースでラスト6.0975kmにペースが上がったのは初めてだった。
楽しい1日だった。
<5kmごとのラップ>
19:05−19:54−21:05−20:48−4:16





2005/4/17   長野マラソン  2:48:24 男子106位
<目標>荒川の不完全燃焼によって、闘志が湧いてきた。挑戦!
<結果>
すばらしい大会だった。途中涙が出そうになるくらい感動した。

最初から積極的にいく予定だったが、波に乗れなかった。5km過ぎの登り坂がとても苦しくて、そこからペースが落ちた。前半から早くも我慢のレースとなってしまった。
中間点を過ぎて気持ちを切り替えて少し勝負に出た。しかし、23.5kmあたりから向かい風に苦しめられた。スピードを落としたつもりはなかったが、30km地点でのタイムを見てがっくり。今考えると挽回可能なタイムであったが、その時は自己ベスト更新は無理と判断してしまった。反省。そうなると苦しさが倍増。いっきにペースダウン。3時間切れるか不安になった。しかし、気持ちを取り直して粘りに粘った。ラスト3kmは追い風で楽になった。30kmからペースを落とした分、最後がんばれた。オリンピックスタジアムに入る手前でカネボウの稲垣選手を追い越した。優越感。スタジアムに入ると、何ともいえない心地よさでやわらかい人工芝の上を駆け抜けた。そのとき疲れは全く感じなかった。
<5kmごとのラップ>
 19:31−19:44−19:41−19:50−
 19:34−20:08−20:34−20:35−8:41
前半1時間23分20秒 後半1時間25分08秒

2005/3/20   荒川市民マラソン  2:47:36 陸連男子:93位/930
<目標>タイム設定するのはやめました。楽しむだけです。
    他人とも争いません。お先にどうぞ。
<結果>
やっぱり荒川は鬼門だった。
タイムに不満はないが、その内容にがっくり。

原因1:スタート前にトイレ大に行こうか迷う。40分時間があったのに並ぶのが面倒くさくてやめてしまった。案の定30km過ぎから、う○こがしたくなり大苦戦。一番楽しいラスト7.195kmが台無し。トイレが先か、ゴールが先か脂汗のなか走った。ゴールとトイレが同時でなくて良かった。ゴール後はトイレ直行。

原因2:シューズの選択。アディゼロCSは確かに良いシューズであり、ハーフ、30km、フルと立て続けに自己ベストを更新した。しかし、足裏にマメができるという欠点がある。それは青梅30kmで経験して判っていたことであった。そこを考慮するのを忘れていた。30km前からマメの痛さに耐えられなくなり、フォームが完全に乱れてしまった。下り坂は痛さで、まともに走れなかった。

<5kmごとのラップ>
 19:53−19:26−19:42−19:19−
 19:33−19:46−19:50−20:33−9:29
前半1時間22分38秒 後半1時間24分58秒

2005/3/12   鴻巣ハーフ  1:19:22 種目13位
<目標>調整だからお気楽モード
<結果>本気モードになってしまい、自己ベスト更新。
スタート地点に並ぶと、先日のみさとシティで1秒差で負けた方Hさんを発見。闘志がメラメラ。
序盤から積極的に飛ばし、2kmの入りが7分20秒。いい感じ。
しかし、すぐにペースが落ち始め、Hさんにどんどん遅れをとってしまった。「うぅ、今日は撃沈か」とあきらめかけたとき、後ろから高校生4人、大人2人の集団に飲み込まれ、やけっばちでその集団の後ろについた。5km過ぎですでにラストスパートモード。
5km、10kmの掲示板を見落として自分がどのくらいのペースで走っているのかわからない。でも、集団から5mくらい遅れることもあったが何とか後ろにくらいついているので、遅くはないことは明白だった。中盤にはHさんと自分を含んだ集団の距離が縮まっていき、すぐに追い越した。それがうれしくて、一気に集団の先頭にでてしまった。やっぱり気分で走りは変わる。
しかし、すぐに苦しくなり集団の後方で粘りモード。15kmの掲示板が目に入り、2km以来のタイムチェックで56分6秒。「このままいけば、自己ベスト更新だ。」
すぐ前方には速そうな高校生が何人かいる。自分が高校陸上部員と争っているのが信じられない。
この時点でかなり苦しい状態だったが、高校生が給水でカップを何度も取り損ねているのを見て、「彼らもかなり苦しいのだ」と気づき少し安心。
ラスト1kmの掲示板を過ぎて、ラストスパートのタイミングを迷った。自己ベスト更新は間違いなさそう。でも、どうせならこの集団の人たちに勝ちたい。自分はラストのスプリントは弱い。「なら、勝負は競技場に入る前だ。」この前テレビで見たマラソン中継でも優勝した選手は、競技場に入る前で後続を引き離していたという何の根拠もない理由で、集団の先頭にたち一気にペースを上げた。
競技場までの取り付け道路では応援と係りの人の人垣ができており、その中を颯爽と集団の先頭で走るのは気持ちが良かった。前方にはランナーが見えない。頭の中では自分が一位のランナーかのように実況中継が流れる。
競技場のトラックに入っても、まだ後ろのランナーは仕掛けてこない。ぴったりつかれている。
苦しい。「抜かすなら早く抜いて俺を楽にしてくれ。」
最終コーナーで二人に抜かれた。予想に反して高校生ではなく大人二人だった。そして、そのまま無抵抗にゴールした。
ゴール後は、抜かされた二人と労いの言葉を掛け合って余韻を愉しんだ。



2005/2/20   青梅マラソン  1:55:37 総合168位
<目標>2時間を切る。
<結果>
目標達成。楽しい30kmだった。
スタート直後の渋滞を抜けてから積極的に走ってみた。
最近の走りこみの疲労を若干感じた。
ラスト5kmは気持ちよく走れた。

スタート地点まで約20秒
ラップ:19:20(5km)−19:08(10km)−19:35(15km)
−18:59(20km)−19:36(25km)−18:39(30km)

2005/2/6   みさとシティハーフ  1:19:47 種目別12位
<目標>自己ベスト更新。
<結果>自己ベストを3分以上更新!!
初の1時間20分切り達成。この日がこんなに早くやってくるとはびっくり。
スタート直後に私の師匠Yさんを発見し、なんとか付いていった。呼吸が苦しく少し速すぎる感じだが、開き直って付いていった。無言で後ろに付くのも失礼だから一度前にでて挨拶した。しかし、4kmで早くも離され始めた。「師匠、速過ぎです。置いてかないでください」一時は50mくらい離されたが、向かい風の中リズム重視で粘っていると9kmで追いついた。そこからは4人の集団となり、一番後ろに何とかくらいついた。このままいってラスト勝負になったら、絶対師匠にはかなわない。「レースを自分が支配しなければ勝てない」と思い13km付近から揺さぶりをかけた。追い風になったところで500mほどスピードアップ。一人脱落。次は下り坂でスピードアップ。師匠の呼吸が荒くなった。15km過ぎでロングスパート。ラスト3kmで勝負あった。しかし残り一人は10mほど前を走っていた。残り2kmで彼のあごが上がったの見て、いっきに追い越した。「勝った」と思ったが後ろにピタリと付かれ、ラスト500mで再度抜かされ1秒差で負けてしまった。脅威の粘りに感服。

ラップ:18:35(5km)−19:04(10km)−
    19:15(15km)−22:50(ゴールまで)

2005/1/9   いぶすき菜の花  2:57:14 総合42位/10927
2泊3日の家族旅行を兼ねて
<結果>
前日、レースコースを車で下見をしたら、その起伏の激しさに驚いた。こんなにアップダウンのあるフルマラソンコースは走ったことがない。しかし、それ以上に驚いたのが景色の良さだった。景観はマイベストコースである。
スタート前のアップは、まあままの調子。2時間40分以内の一番うしろに並んだ。満員電車状態で一歩も動けない。スタート後も渋滞が続き、どこがスタートラインかもわからなかった。
5km地点でタイムを確認すると予想をはるかに超えて悪かった。どんどん抜かれていく。登り坂ばっかりなのに速いランナーが多い。10km地点でもタイムは上がらず、なかばあきらめモード。途中何を食べようかと考える。
15km地点で少しタイムが上がってきたので、サブスリーを狙ってみる。
池田湖、開聞岳、山川駅付近の海岸からの景色が特に良かった。
後半は風が強くなったが、走りに影響はなかった。
中間点でサブスリーを確信、どこでサツマイモを食べようか考える。
後半はなるべく沿道の応援に応えた。温かみのある応援だった。
37km過ぎで電車の踏み切りストップ初体験。ラストスパートモードに入っていただけにきつかった。止まったら左ふくらはぎがつりそうになって青ざめた。しかし、その後も快調に走れ、指宿温泉街を独走した。公道を一人で走るのは気持ちがよかった。
ゴールまでバテルことなく走りきれた。疲労感も少なかった。
急いで着替えて、さつまいも、うどんを食べて会場を後にした。
走り終わって、風が強くて寒いことに気がついた。
<5kmごとのラップ>
 21:58(スタート前10秒くらい含む)−21:55−
 20:51−20:11−20:22−21:05−20:54−
 21:08(踏切ストップ30秒くらい含む)−8:46(2.195km)
前半1時間29分15秒 後半1時間27分59秒

2004/11/28   河口湖マラソン  2:53:18 総合65位/5487
<目標>昨年の初サブスリー達成の感動を思い出す。
<結果>
快晴で素晴らしい景色のなか、走ることができた。
当日の朝、調子が良かったので2時間50分切りを目標とした。
前半は良いペースで進み中間点では自己最高、25km地点でも大田原のときよりもよかった。
しかし、後半はいつもより疲労感が早くでてきて、途中棄権の可能性もあったのでペースダウンを余儀なくさせた。朝食の量(おにぎり2個、味噌汁、バナナ1本、大福1個)が少なかったのか、食べる時間(4時間前)が早かったのか、エネルギー切れを25kmで感じた。昨年の初サブスリー達成のときよりは最後苦しくなかった。
<5kmごとのラップ>
 20:28−19:56−19:50−19:57−
 20:17−20:58−21:14−21:38−8:54
前半1時間24分45秒 後半1時間28分33秒

2004/11/23   大田原マラソン  2:51:00 総合55位/685人
<目標>自己ベスト更新
<結果>
目標達成。自己ベストを6分以上更新。
3日前に風邪をひき、出場をあきらめようと考えたがなんとか治ったので参加した。
気持ちがのらなかったので当日になっても「やっぱりいくの止めようかな」なんて考えたりもした。
レース前のアップで砂地のトラックを走ったら右ふくらはぎが痙攣。ここでまた「やっぱり今日は止めようかな」と考えた。
スタートしたら以外に調子よく走れて、ラスト3km以外はあまり苦しくなかった。
ハーフ手前の曲がり角を曲がるときに、道路内側の溝に足をとられて捻挫をしてしまった。直後は激痛が走ったが、堪えていると5kmくらいで痛みは気にならなくなった。レース後はアイシングをしてもらって何とか歩いて帰れた。
30km地点(2時間1分弱)で、ペースを上げて2時間50分切りを狙うか、安全に自己ベスト更新を狙うかで迷ったが後者を選んだ。
大田原のコースは非常に走りやすかった。風が弱かったこともあったが、アップダウンの傾斜が緩くリズムに乗りやすい。
<5kmごとのラップ>
 20:14−19:44−20:11−20:34−
 20:06−20:06−20:23−20:46−8:54
前半1時間25分04秒 後半1時間25分54秒

2004/11/7   ニューヨークシティマラソン  2:59:23 総合472位/37257人
>ゆっくりと楽しむ。
<結果>
この大会より凄い大会はないと思われるくらい凄かった。
昨年の東京国際市民が今までのベストレースだったが、NYCMはそれをはるかに超えてマイベストレースとなった。
はっきりいってホノルルマラソンを100回でるより価値があると思う。
1時間前から前の方のスタート位置を確保。おかげで号砲から19秒遅れでスタートラインを通過。スタート後、いきなり右に大西洋、左にマンハッタンの高層ビルの絶景。切れ目ない沿道の応援とロック演奏の中、余裕のペース。16マイル過ぎでマンハッタンに入ると沿道の数がさらに増える。黒人の子供からバナナをもらって食べる。ヤンキースタジアムを横目に見て、まもなく35km地点で時計を見ると2時間30分。とりあえず3時間切っておこうと、ちょっとペースを上げた。ゴール手前50mは、飛行機ポーズで蛇行。沿道は大盛り上がり。ゴール後はみんなから祝福の嵐。あっという間の3時間。
[5kmごとのラップ]
 21:15−20:50−21:05−21:11− 
 21:52−21:19−21:54−21:14−08:41
 (ハーフ1:29:07)

2004/10/31   手賀沼ハーフ  1:22:59 総合177位/4738人
>最低でも自己ベスト更新(1時間22分59秒)
<結果>
自己タイ記録でベスト更新ならず。
あと1秒くらい何とかなったと思うが、大幅更新を考えていたので最後は気持ちが切れて流してしまった。
走る前に足底筋の痛みが気になった。
前半から体が重く感じ、体感よりタイムは悪かった。
15km以降ペースが上がったのが唯一の救い。
ラップ:19:31−19:40−20:07−19:34−4:06

2004/10/10   新潟フル  2時間58分21秒 総合38位
>再チャレンジ。今度は食事に気をつける。
予定通りに前半から飛ばしていった。こんなペースでは、潰れて完走できないのではないかという不安の中走っていた。
スタート時は暑くなかったが、太陽がでてきてからとても暑く感じて、給水、スポンジを毎回とった。
折り返してからは、無理をしないで少しペースを落としてラストに備えた。このときは2時間55分切りは確実だと思っていた。
35kmくらいではまだ余裕があり、ラスト5kmでペースアップを行った。しかし、1kmも持たずに急激に体が苦しくなった。ラスト3kmでは向い風に抵抗するこができずに、完全に戦意喪失。
ゴール後は苦しくて完走証を受け取るのもやっとだった。
おそらく脱水症状だろう。ゴール後の1時間で1リットル以上の水分を必要とした。それでも小便がでなかった。
<5kmごとのラップ>
19:38−20:10−20:04−20:32−20:41−21:49−
22:14−22:23−10:44

2004/9/19   田沢湖フル  2時間57分26秒 総合28位
>2時間50分狙い。福岡国際マラソンBの資格ゲットしたい。
目標達成ならず。力不足痛感。積極的になれなかったのが残念。
前夜と朝食を食べ過ぎ。でも、ホテルのバイキングだから仕方がなかった。
スタート1時間半前は、暴風雨で「こりゃだめだ」と思ったけど、スタート時は雨、風は弱くなった。その後は、降ったり止んだりで、時々大雨となった。ちょっと蒸し暑かった。
大会側の発表は気温21度、雨、風速8m
最初の3kmはキロ4分を切っていたが、食べ過ぎのお腹が重く徐々にペースは落ちていった。7kmくらいから軽い腹痛になり、もうペースは上げられる状態ではなかった。21kmくらいで田沢湖畔に入り、ちょうどその時晴れて、湖の景色がとても美しく、来てよかったと思った。湖の色はコバルトブルーで沖縄の海のようだった。その後は、惰性で走り36km過ぎの登り坂を登りきるとラストスパート。キロ4分ペースでゴールまで走った。
<5kmごとのラップ>
20:27−20:58−20:35−21:14−21:23−21:14−
21:13−21:30−8:47

2004/9/5   浦佐温泉山岳耐久  1時間24分39秒
>スピード練習。いけるところまでキロ4分。
登りがきつかった。このコースでキロ4分なんて全然無理。
ラスト5.5kmは下りを利用してスピード出せた。
<5kmごとのラップ>
22:26 − 21:28 − 21:44 − 17:18 − 1:42(500m)

2004/8/22   富士吉田火祭り  1時間19分21秒 47位/700人位
>スピード練習。いけるところまでキロ4分。
目標通りキロ4分をなんとか達成。
しかし、ラスト5kmは登りであったが22分もかかってしまい課題が残った。
最初の登りは、丁度良いペースで入れた。長い下りに入ってもペースは無理に上げなかった。レース中盤の登りは、苦しかったが周りのランナーに食いついていったら、何とかペースは維持できた。苦しさには波があって、がんばって耐えていればいつかは楽になることを実感した。
ラップ:38:54(10km)−18:23(15km)−22:03(20km)
距離表示は少し正確でなさそう。

2004/8/1   奥武蔵ウルトラ  6時間44分8秒 総合21位/700人位
タイム、順位とも少し期待はずれだったが、当初の目標の「とにかくがんばる」は十分達成できた。
5km過ぎから右膝の痛みがでてきて、その後は常に痛くて、このまま走り続けてよいものか、リタイアするべきか迷った。
しかし、最近の不調を打破するためには、とにかく完走するしかないと考え走り続けた。
ラスト10kmくらいからの下りは、疲れきった足の筋肉にダメージが大きかった。拷問のような辛さ。
<5km毎のラップ>
 25:39-24:28-24:08-28:45-27:55-31:44-
 32:22-28:26-28:11-26:05-26:06-23:43-
 25:56-24:59-25:35
フルの通過 3時間55分
ラスト30kmは2時間32分


2004/7/17   24時間リレーIN富士  19位
おもったより走れなかった。
走ることよりもテント生活が負担。

2004/7/4   北丹沢耐久レース  18.5km2時間半でDNF
最初の山を越えた第一関門エイドで、もう十分楽しめたので止めた。体力的にはまだいけたが、7月のこの時期にこれ以上体にダメージを残したくなかった。山の登りでは、とても走れない。走って進めないレースでタイムを競う価値が見出せなかった。
レース直後にこの大会に参加したことを後悔した。山道では、足の置場まで決まっていた。前の人の足だけを見ながら延々と進む。つまらない。歩幅が合わずアキレス腱が痛んだ。唯一楽しめたのが、わずかな舗装道路区間。快調に飛ばした。
第一関門の少し手前の岩場で転倒。下りだったので体が宙に浮いた。胸と顔から落ちた。落ちた感じから顔面流血かと思ったが、顔は大丈夫だった。胸と腕を強打し、ふくらはぎがなぜかつった。エイドで診察を受けて打撲で済んだ。エイドでは若い女の子に清水をもらいとてもおいしかった。途中、景色のよいところが何度かあったが、労力と比較するとその価値はあまりない。家のテレビでハイビジョン放送をみてるほうがよい。
もう2度と未舗装の山岳レースにはでないだろう。一夜明けてもその考えは変わらない。

2004/6/20   白樺高原ビーナスマラソンin女神湖  1時間30分7秒 10位/80人
どうも高地はだめみたい。昨年の野辺山も不調だったし。
アップで女神湖1周しただけで、疲労感。
前半の登りは、少し抑え気味だったが、10km45分もかかり大ショック。
下りでスピードをだそうとしても、高地で空気が薄くて胸は苦しいし、気持ちが悪くて無理はできない。
1時間30分を切れるかどうかというところだったが、最後は流してしまった。
でも最後にがんばらなかったおかげで10位のとび賞(りんご5kg)を獲得。

2004/5/30   彩湖100km  9時間23分02秒 優勝
初めての優勝。初サブテン達成。すばらしい日だ。
日差しが強く、むちゃくちゃ暑かった。天気予報はくもりだったので、帽子は必要ないかなと考えていたけど、被っていってよかった。さいたまの気温は34度だったみたい。
脱水、熱中症にならないことだけを注意して走った。
80km少し前で初めてトップにたち、そのまま逃げ切った。
20kmごとのラップ:1時間40分−1時間45分−1時間53分−2時間−2時間5分 フルの通過は3時間35分。
肉体的より精神的につらかった。
 

2004/5/4   庄和大凧ハーフ  1時間28分24秒
タイムはよくないけど4年連続で、コース自己ベスト更新。
3kmまでは、招待選手の櫛部さんについていく。
しかし今日は不調と判断して、ペースを落とした。
中盤の追風でもペースは上がらなかった。
ラスト5kmはものすごい向い風。ラスト2kmは積極的にいき、`4分を切った。

2004/4/18   かすみがうらフル  3時間0分33秒 111位/4968人
暑かった。今までで一番給水をとったと思う。
天候と体調、練習内容から消極的になり、スタート位置をあまり考慮しなかった。スタートラインまで27秒のところに並び、スタート後は渋滞でゆっくり走りになりリズムが狂った。最初の2kmは9分20秒。
前半のアップダウンの傾斜は、事前情報よりゆるく感じ、平坦に等しい。後半は完全な平坦であり、追風で高記録が狙えるコースだと思う。
ラップ:21:55−21:00−21:00−21:09−21:16−20:44−21:25−22:13−9:47 ハーフ 1:29:22
ハーフ過ぎにタイムが落ちてきたので、追風もあり25kmからペースを上げすぎたのが失敗だった。その影響でいつもよりラストが落ち込んだと思われる。ペースを上げたときは1kmごとに確認するべきである。また、最近の練習で30km走をしていないのが、後半落ち込んだ原因だろう。30km以降に完全にばてた状態になったが、フォームを修正することによって2度ペースを戻せたのは収穫。苦しいときこそフォームの確認が必要。
満足はしていないが、現状の力からすると合格点を上げられると思う。今シーズンラストのフルは、気持ちよく終われた。

2004/4/4   吉川ハーフ  1時間23分13秒 31位
目標達成ならず。前半スピードに乗れなかった。
最近、練習での5kmのタイムはかなり落ちているが、久しぶりに全力でハーフを走るので、自己ベストをだすつもりでいたが駄目だった。ケンケンに負けたのが悔しい。
ラップ:19:45−20:09−19:33−19:31−4:14

2004/3/21   荒川市民M  3:01:10(ネット) 226位
苦手な荒川。今回もサブスリーならず。
スタート位置が後方のため、しばらくはスピードだせなかった。最初の1kmは5分以上かかった。遅れを取り戻そうと、前半はいつもよりスピードをだしていき、気持ちが切れた40km以降は惰性で走った。どんな状況でもサブスリーはだせると過信していた。反省。
ラップ 22:30−20:50−20:57−20:48−21:04−21:34−21:17−21:38−10:23
 

2004/3/7   佐倉フル  2:57:06 34位/約2000
アキレス腱痛、長期体調不良、体重3kg増加でサブスリーが達成できれば良いかなと考えていたら、まさかの自己ベスト達成。
前夜、珍しく7時間熟睡できたのが大きい。直前にQちゃんと握手ができたのも、好記録の要因か。
25km-30Kmに意識してペースを落として、ラストに備えたのも正しい判断だった。
それにしても、ラスト5kmに坂が多く、途中は風を遮るものがなく、タフなコースだった。
ラップ:21:15−21:16−20:57−20:33−20:37−20:56−20:32−21:36−9:20

2004/2/15   青梅30km  2:04:50 338位/約1万人
今回も体調不良のまま、レース当日を迎えた。左アキレス腱も階段を下りる時に痛みを発した。
スタートして5kmも走らないで、調子の悪さを感じタイムは望まないように、何とか完走できるように考慮した。
折り返し後、下りになっても調子が上がらないで、もがき苦しむ。
ラップ:21:12−20:34−21:13−20:43−20:14−19:44

2004/2/1   新宿シティハーフ  1:26:55 180位/約2000
体調不良、左アキレス腱痛のため、ゆっくり走ることを最初から決めていた。
途中、瀬古監督と5kmほど並走。
ラップ 20:35−20:33−20:59−20:32−04:12

2004/1/25   奥むさし駅伝3区  17分39秒 53位
まさかの53位。タイムも悪すぎてびっくり。
スタート前は、もう少し走れるかと思ったけど、やっぱりだめだった。
それでも10人抜けた。

2004/1/18   白岡5km  途中棄権
スタート後、約50mで転倒し膝を強打したため危険。
トラックのコーナーは危険。

2004/1/1   越谷元旦10km  38分22秒
最初から中盤まで、苦しい状態が続きスピードがでなかった。
ラスト3kmは比較的楽になってきた。
体重の増加と疲労状態を痛感した。

2003/12/16   ホノルルマラソン  3時間0分57秒 男子総合94位
天気は晴れ、温かく、風が強かった。ところどころ大きな応援があって楽しめたけど、想像していたほどの感動はなかった。
レースの半分以上は暗いなかで走ったので風景はあまり楽しめず。
やはりホノルルは初心者または4時間以上のランナー向けのレースのような気がする。
10K-42:51 15K-22:09 20K-21:52 Half: 01:31:35
25K-21:42 30K-20:57 35K-20:19 40K-21:51 2.195-9:16 
Finish Time: 03:00:57

2003/11/30   河口湖マラソン  2時間59分44秒 117位/4987人
初サブスリー達成!
5kmごとのラップ
22:12−21:18−21:15−21:15−21:05-21:11−21:18−21:08−8:56
ラスト5kmは本当に苦しかった。

2003/11/16   東京国際女子記念市民M  3時間6分22秒 272位
スタートまで45秒 
5kmごとのラップ 20:43−20:33−20:34−20:57−21:05−21:20−22:06−26:59−11:16
30kmぐらいで苦しくなってきて、35kmでペースを落とした。ラスト5kmは左ハムストリングがつりそうだった。
国立競技場のラストは最高の気分だった。

2003/10/26   スバル太田マラソン12km  43分27秒 15位
最後までバテルことなく、ほぼイーブンペースだった。
2年前と比べて2分24秒速くなった。練習の成果を実感。

2003/10/12   流山ロードレース10km  38分13秒 17位
暑くて、最後はかなり苦しかった。

2kmごとのラップ 7:48−7:40−7:47−7:21−7:31